朴柱奉とはどんな選手だったか
朴柱奉(パク・ジュボン)選手は韓国の男子ダブルスと混合ダブルスの選手です。BWF選手プロフィールのPERSONAL DETAILS欄によると身長は182cm、利き手は右です。男子ダブルスと混合ダブルスの両方で世界の頂点に立った、数少ないダブルスの選手のひとりです。
収録している基本データは朴柱奉選手のページにあります。ここではBWFの表彰台記録と公表資料から、選手としての戦績と、指導者としての位置づけを分けて整理します。
世界選手権で3つの金メダル
BWFの表彰台記録によると、朴柱奉選手が世界選手権で金メダルを取ったのは次の3回です。
| 年 | 種目 | ペア |
|---|---|---|
| 1989 | 混合ダブルス | チョン・ミョンヒ |
| 1991 | 男子ダブルス | キム・ムンス |
| 1991 | 混合ダブルス | チョン・ミョンヒ |
出典: BWFの1989年・1991年の世界選手権の表彰台ページ(本記事の出典欄)
1991年は男子ダブルスと混合ダブルスの両方を同じ大会で制しています。この年の男子ダブルスの銀メダルはヨン・ホルスト・クリステンセン選手とトーマス・ルンド選手(デンマーク)、混合ダブルスの銀メダルはペルニレ・デュポン選手とトーマス・ルンド選手でした。1989年の混合ダブルスの銀メダルはベラワティ・ファジュリン選手とエディ・ハルトノ選手(インドネシア)です。
バルセロナ1992の金メダル
BWFのバルセロナ1992の表彰台記録によると、男子ダブルスの金メダルはキム・ムンス選手と朴柱奉選手(韓国)、銀メダルはルディ・グナワン選手とエディ・ハルトノ選手(インドネシア)、銅メダルはジャラニ・シデック選手とラジフ・シデック選手(マレーシア)、そしてリー・ヨンボ選手とティエン・ビンイー選手(中国)でした。
この大会はバドミントンが五輪の正式競技になった最初の大会で、韓国は男子ダブルスと女子ダブルスの金メダルを獲得しています。同じ大会の女子シングルスを制したのがスシ・スサンティ選手です。五輪でのバドミントンの記録はオリンピック(バドミントン競技)のページにまとめています。
アトランタ1996の銀メダル
混合ダブルスが五輪の種目に加わったのはアトランタ1996からです。BWFの表彰台記録によると、この最初の混合ダブルスの金メダルはキム・ドンムン選手とキル・ヨンア選手(韓国)、銀メダルは朴柱奉選手とラ・キョンミン選手(韓国)、銅メダルはスン・マン選手とリュウ・ジエンジュン選手(中国)でした。韓国が金と銀を占めた形です。
BWF選手プロフィールに記録が残る最後の試合も、このアトランタ1996の混合ダブルス決勝です。ただし引退した年を明記した公表資料は今回確認できなかったため、当サイトの選手データでは引退年を空のままにしています。
指導者として
引退後、朴柱奉選手は指導者となり、日本代表のヘッドコーチを務めました。BWFが2019年1月25日に公開した記事は、彼を「Japan head coach Park Joo Bong」と紹介し、オリンピック、世界選手権、トマス杯、ユーバー杯のタイトルへ日本を導いてきたと記しています。そのうえで、当時まだ日本が獲得していなかったスディルマン杯を次の目標に挙げた発言を紹介しています。同記事は、混合ダブルスの強化のためにマレーシアのコーチを招き、渡辺勇大選手と東野有紗選手のペアが世界3位まで上がったことにも触れています。
記事にある「オリンピックのタイトル」にあたるのが、BWFの表彰台記録に残るリオデジャネイロ2016の女子ダブルスの金メダルです。この金メダルの経緯は高橋礼華・松友美佐紀の歩みにまとめています。日本代表の強化体制そのものの移り変わりは日本が世界の強豪になるまでと日本代表(BIRD JAPAN)を参照してください。
なお、日本代表ヘッドコーチの就任年と退任年を明記した協会の公表資料は今回確認できませんでした。年の記載は推測で埋めていません。
2001年の殿堂入り
BWFが公表している殿堂入り一覧(Hall of Fame Inductees, 2026年7月版)によると、朴柱奉選手は2001年に殿堂入りしています。バルセロナ1992で組んだキム・ムンス選手は2002年、世界選手権で組んだチョン・ミョンヒ選手は2003年、そしてアトランタ1996の混合ダブルスのパートナーだったラ・キョンミン選手は2009年に入っています。